杉田修一プロフィール
ペンギンのクラフト
1953   倉敷にて生まれる。
1975   武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。
1975   造形美術学校研究科にて各種技法を学び、更に修復研究室の歌田真介氏の元で素材などの研究をする。
1977   東京都の中学校美術教諭となる。
1987   倉敷に帰る。自宅にて絵画教室を開設し、西洋古典の模写やオリジナルの創作に励む。以降毎年個展を開く。〜92清心女子学園の講師となる。
1988   朝日カルチャー「テンペラ」・「油彩画」口座開設。以降、岡山天満屋、丸善シンフォニービル店、ギャラリーやぶき、倉敷エルパティオ等で個展を毎年開催。
1994   第11回ハンズ大賞入選。
1996   朝日現代クラフト展入選。
1997   年賀状、岡山県内版に水彩画「岡山城」が採用される。
1999   ふるさと切手の原画に採用される。
顔写真
息子の3才の誕生日。
プレゼントに作ってやったひとつのオモチャがコトの始まり。
ウケると次は、「こんなのどうだ!」と作りたがりの血が騒ぐ。
そこに「偶然」というスパイスも効いちゃったもんだから、さあ大変。
アレやコレや、あんなのもこんなのも、と作り続け、気付いてみれば早10年。
浮かぶアイディアに置いて行かれないように、日々走り続けています(笑)

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始まりは登り人形 そういえば、あれは、うちのドラ息子が3つになろうとする頃の事でした。
そろそろ、“何か記憶に残るような物をプレゼントしようかな”と思案していた頃に、ふと出会ったのがあの「登り人形」(ひもを交互に引くと登る、木でできた人形)でした。
これなら作れると思い、試行錯誤の結果、やっと出来た人形の名前は「ひでき3才登り人形」。
2つ作って、プレゼントされて喜んだのは、おじいちゃんとおばあちゃんの方でした(^_^;)
当の息子は、サッサと他のオモチャへ気移り。
「ま、子供ってそんなもんかな」と自身で納得し、ついでにいろんなアレンジを加えて、子供の反応を見てみたいと思うようになりました。
ある時は忍者、またある時は金太郎、そして熊さんに桃太郎……そうそう、金太郎はマサカリを背中にと、付属品を追加したり。
自宅での絵画教室(僕、絵描きなんです)の生徒さん達にもバカ受け!!
ついには忍者の手や足をブラブラ動くように造作し、2階までヒモを伸ばして遊ぶ始末。
息子も喜んでいましたが、当の親である僕が一番楽しんでいたのかも知れません。
ひでき3歳登り人形
「ひでき3才登り人形」



東急ハンズ大賞に入選してしまった そんな作品を絵画教室の生徒さん方に御披露したら、Eさん(教室の生徒さん)から海外旅行のおみやげで買った木の鳥(勿論羽ばたくタイプ)をプレゼントされました。
そしたら、またそこでふつふつと創作意欲がわき、作った鳥が7種類(カワセミ、カモ、ハト、オナガ、コサギ、トンビ、フクロウ)になってしまいました。…しまいましたというのがホンネです。作りたがりのムシがそうさせたのですね〜。

生徒さん達の好評も追い風となり、つい出品してしまったのが「東急ハンズ大賞展」。そしてまさかの入選。ウソじゃないかと渋谷のハンズ大賞展へ足を運んだのはいうまでもありません。
その会場での作品のインパクトはヘタな絵画展を見るより感動的で、数年単位でしか出来そうもない作品から、アッサリと作った作品でもそのシャレたセンスの良いものまで、どれもシゲキ的なものばかりでした。

さて、ますます調子に乗った僕は、自作を店に置いてもらえるように・・・
(次回へ続く)
東急ハンズ大賞入選
1994年
「弟11回東急ハンズ大賞」
入選